

三原市は瀬戸内海有数のマダコの産地で、三原沖には水温の一定した綺麗な海水や適度な岩場といった、タコの生育に適した環境が揃っています。
三原のタコ漁は、世襲制で受け継がれた漁場で「山立て(陸上にある2つ以上の動かない目印から位置を把握する方法)」という、GPSやブイに頼らない伝統的な漁法で継承されてきました。
このため市内では古くから「タコを食べる文化」が花開き、生タコの刺身やタコ飯、タコ天といった馴染みのメニューに加えて、タコづくしのコース料理や洋食、お好み焼きやスイーツ等、タコの多様なメニューを楽しむことができます。
なお、三原市漁業協同組合では同組合で取り扱うタコを「三原やっさタコ」として商標登録し、ブランド化を進めています。一般的にタコは下処理したものを茹でてさばきますが、生きているものをしめて使用します。それを真空パックに詰めて急速冷凍加工する設備を導入したことにより、休漁期でも安定した価格による流通が可能になりました。


〈美味しい「食」を育む歴史的環境〉のとおり、瀬戸内の交通拠点として発展してきた三原。おもてなしや交通機関の乗り換え待ち等で街に人が滞留しました。そして育まれた多様な「三原のおやつ文化」は、伝統的なお菓子からトレンドに乗ったメニューまで、歴史のあるものや新しいものを取り入れながら発展を続けています。このような背景を活かし、2014年から、「三原おやつさんぽキャンペーン」を展開しています。


現在、三原市内でお酒を醸造しているのは「醉心山根本店」のみですが、第二次世界大戦後は10軒余の蔵元がありました。古来より「万葉集」で「吉備の酒」として歌に詠まれたことを筆頭に、その後の文献でも度々登場したのが三原の酒です。三原で酒造りが発展したのは、気候や酒の原材料である米や水に恵まれていたこと、そして海上交通の要衝である土地柄から、造った酒を各地に運ぶことが容易で、販路の拡大がしやすかったことも理由だと言われています。
醉心山根本店の創業は万延元年。明治時代から数々の賞を受賞してきた醸造元です。中でも大正時代には、全国酒類品評会で3回連続の優等賞を受賞し、優等賞を3回連続で受賞した醸造元にのみ贈呈される名誉賞を受賞しました。これにより「名誉醉心」として、国内外で広く知られています。
水や米にこだわった「超軟水仕込み」の酒造りにより、「辛口にして甘露」な醉心は四季を通じて楽しむことができ、既に多くのファンを魅了しています。